ビール|横浜はじめて物語
山手ではじまった日本の麦酒造り
明治2年(1869)、山手46番にできたジャパン・ヨコハマ・ブルワリーが最初のビール醸造所と考えられる。しかし、5年程で廃業したらしい。
一方、元治元年(1864)に横浜へ来たコープランドは、運送業等を行っていたが、明治3年(1870)に山手の天沼にスプリング・ヴァレー・ブルワリーを創設してビール醸造を始めた。その後、紆余曲折を経て、ついに彼は醸造所を手放すこととなる。
しかし、明治18年(1885)タルボットらが同じ敷地内にジャパン・ブルワリーという醸造所を再建し、明治屋を総代理店として明治21年(1888)からキリン・ビールの銘柄で販売を始めた。
明治40年、経営は日本人に譲渡され、麒麟麦酒株式会社となった。
